INTERVIEW
Vol.13
富下李央菜
ポールポジションを獲得した
鮮烈のデビュー戦
勝負強さと不屈の闘志で
目指すはシリーズチャンピオン
INTERVIEW
Vol.13
ポールポジションを獲得した
鮮烈のデビュー戦
勝負強さと不屈の闘志で
目指すはシリーズチャンピオン
2023年度のKYOJO CUP開幕戦は予選からセンセーショナルな出来事があった。当日は曇り空。富士スピードウェイの路面は前夜の雨でハーフウエットというコンディションのもと、タイムバトルがスタートした。エントリーした22台がそれぞれに好タイムを目指す中で、前年度のチャンピオン・翁長実希選手のタイム0.091秒を上回ってトップタイムを塗り替えた選手がいた。それが、富下李央菜選手(以下、李央菜選手)だ。
当時、李央菜選手は高校2年生で、KYOJO CUPどころか四輪レースも初めて。彗星のごとく現れたルーキーのポールポジションの獲得に、レース関係者もザワついたに違いない。このときの決勝は残念ながら完走できずに幕を閉じたが、2023年のシーズンが終わってみればシリーズ6位。上々の滑り出しとなった。
「去年はもともとシリーズチャンピオンを獲りたかったんですけど。」
はにかんだようなチャーミングな笑顔とは裏腹に、言葉の端々からにじみ出る強い意志。初年度は爪痕を残した印象だが、戦績には全く満足していない。四輪に転向する前は、カートで実績を出してきたことも大きいのだろう。
「父が弟をレーサーにしたくてサーキット場に連れていくことになって。そのとき私もついていったんですが、オーナーの方が『お姉ちゃんも乗ってみる?』って勧めてくれて。それでキッズカートに乗ってみたら面白いなぁと。私は小学4年生だったんですけど、自分でカートを動かして進んでいくことにまず衝撃を受けたんだと思います。最初は全然スピードも速いわけじゃなくて、アクセルを踏んで離してって、ゆっくり乗っていたんですけど、そのアクセルで進むっていう感覚がとにかく面白かったです。」
弟さんをレーサーにしたいというお父さんの思惑は外れてしまったが、お姉さんの李央菜選手が芽を出したのはうれしい誤算だったに違いない。李央菜選手はキッズカートからほどなくジュニアカートへとステップアップ。小学5年生でレースデビューを果たした。
「周りは幼稚園とか小学校の低学年の頃からカートをやっている子ばかりで。5年生くらいだと同い年の子はもうどんどん上のクラスにいっちゃうから、それで自分もそのクラスに入らなきゃって必死でした。でも向こうも頑張っているから、常に1個上のクラスで乗っているんですよね。追いつこうと頑張るんですけど、やっぱり相手のほうが長く乗っている分、追いつけなかったりしました。」
カートを始めた頃の話を振り返る間、李央菜選手から「悔しい」「悔しかった」という言葉は聞かなかった。そんな感情を抱くくらいなら、練習に打ち込んで結果を出すのが李央菜選手だ。学校が終わると毎日のようにサーキット場へ通い、雨の日も雪の日も練習に明け暮れた。そして小学6年生でコマー60 KT100クラスで初優勝を決め、同クラスのシリーズチャンピオンも獲得した。練習は裏切らない。
「2018年から全国のレースに出るようになりましたが、ジュニアカートではそんなに結果は出していないです。やっと最近になってランキング上位に入れるようになったので。」
実際、14歳頃から戦績は着実に上がっていった。2019年、モビリティリゾートもてぎで開催された全日本カート選手権ではFP-3部門に参戦し、決勝で2位に輝く。当時のWEB記事に「雨に濡れたデリケートな路面で集中力を切らすことなく単独走行を続け…(出展:JAF MOTOR SPORTS / 全日本ジュニアカート選手権・東地域で活躍する女性ドライバーたち)」と書かれていた。持ち前の集中力を味方につけて、この後、李央菜選手は破竹の勢いで成長していく。
李央菜選手は、才能ある若手ドライバーを発掘し育成するプロジェクト「ヤマハ Formula Blue」のサポートドライバーとして2021年から全日本カート選手権に参戦。2022年には表彰台に5回のぼり、シリーズランキング2位を飾った。その実績により、満16歳以上が取得できる国内限定Aライセンス(以下、限定Aライセンス)を取得し、KYOJO CUPに挑むチケットを手に入れた。
「私はプロドライバーになりたくてカートをやってきました。まずは去年よりもパワーアップした姿を見せて、シリーズチャンピオンを目指します。」
強みを尋ねると、「なんですかね、私もずっと探しているところです。」とのこと。受け答えもサーキットの走行中もクールだが、熱い闘志は人一倍。伸び代たっぷりな李央菜選手がKYOJO CUPでどのようなレース展開をしていくのか、2024年も目が離せない。