INTERVIEW
Vol.26
おぎねぇ
キャリアを強みに
「一生チャレンジャー」を目指し
勝ち負けだけじゃない
レースの魅力を伝えたい
INTERVIEW
Vol.26
キャリアを強みに
「一生チャレンジャー」を目指し
勝ち負けだけじゃない
レースの魅力を伝えたい
「昭和、平成、令和と時代が変わり、ドライバーのモータースポーツの捉え方も30年前と今とでは全然違います。ひと昔前は気合と根性でレースに挑んでいましたが、今はアスリート的な考えでチャレンジしていますよね。」
KYOJO CUPの中で最も長いキャリアを持つ、おぎねぇこと、おぎわらなおこ選手(以下、おぎねぇ選手)。22歳でレースデビューした頃、女性ドライバーは現在より希少な存在だった。
「KYOJOが誕生する前は、ここ何十年もの間、女性だけのレースはまずありませんでした。それでも私が初参戦したレースは、たまたま女性だけのレースで。ビッグレースのサポート的な位置づけで筑波サーキットで開催されたんですが、予選で9位に入ることができました。ベテラン勢20数台と競ってのシングルで、これが大きな勘違いのはじまりですね(笑)」
スポーツカーが大流行した昭和の時代。速く走りたいとカスタマイズした車を、愛好家たちが安全にスピードを試すことができる場所がサーキットだった。
「あの頃、モータースポーツは完全な男性社会。女性の参加に対して風当たりが強く、ハンディキャップがもらえるわけでもなかった。浮ついて見られないよう、サーキットではあえてメイクもしませんでしたね。それを思うと、KYOJOは華やか! 女性ドライバーの地位向上を肌で感じられるようになりました。」
時代とともにレースを取り巻く環境も変化した。だが、おぎねえ選手の中には変わらないものがある。
「運転が上手くなりたいーーそれが私のスタートラインであり、今も一貫してそうです。敵は体力や精神力、モチベーション。戦うべきは自分自身であり、向上心だけでここまで来ました。そこにゴールがないから、辞めないでいるのだと思います。」
それでもおぎねぇ選手もサーキットでは勝敗にこだわったこともあった。
「30代の頃、本格的にレースにハマりました。フォーミュラカーで男性に混じってポールポジションを獲ったことがありましたし、過去には表彰台3位に上がったこともあります。どのレースも周りは全員男性で、彼らからしたら『女にだけは負けたくない』という想いがあって然りで。こいつには抜かれたくない、ブロックしてしまえというのは、事実ありました。でも覚悟してこの世界に入ってきていますから、多少のことでこっちも怯んだりしませんけど(笑)。」
明るくテンポの良い語り口調に引き込まれる。おぎねぇ選手がフリーアナウンサーとして自動車関連イベントのMCやカートレースの実況アナウンスも行っていると聞き、納得した。
「結婚しなくてもいいと思えるくらい、レースでどんどん結果が出てきて、50代まで突っ走ってきました。モータースポーツは操作テクニックが肝なところもあり、年齢を重ねても続けられるのが魅力なんですよね。とはいえ私も59歳。変わらず自分自身がライバルですが、同じフィールドに年の差40歳の子たちがいるわけです。視力、判断力、瞬発力といろんなものが衰えていく中で、どうカバーしていくか。辛うじて、長く経験してきた引き出しが通用するかな。」
弱音ではなく、自分自身を客観視できるからことの言葉の重み。60歳を目前に、おぎねぇ選手の心中には様々な想いが去来する。
モータースポーツにおけるスポンサー契約は1年が基本的なスタンスであり、短い場合は1戦で終わることもある。それだけに、おぎねぇ選手は周囲への感謝の気持ちを大切にする。
「一つでもスポンサーさんがついたら、スポンサーさんのために走るという思いを持つこともプロ意識ですよね。モータースポーツが今まで私を支えてくれた40年近く、まずスポンサーさんへの感謝の気持ちがすごくあります。モータースポーツ業界にこうして長くいさせてもらえた恩返しもしていけたら。」
キャリアを積んできたからこそ、モータースポーツは一人でできる競技ではないことを誰よりも実感してきた。
「どんなアスリートでも選手を支えるチームがあって。レースに出場するためにはスポンサー、メカニックと走らせてもらえる環境をつくってくださった方々や応援をしてくれるファンがいたから、こうして続けてこれたんですよね。だからこそ1戦1戦、自分の判断ミスで大きなクラッシュを起こしたり、人に迷惑をかけるようなことをしないといった最低限の努力は自分でしなければ。それがドライビングアスリートとしてのプライドだと思っています。」
勝ち負けだけじゃないモータースポーツの魅力を、おぎねぇ選手はその背中で語り続ける。