彼女の素顔

INTERVIEW

Vol.3

荻原友美

2023年の妊娠、出産を経て
2024年レース復帰!
ママになってもやりたいことを
諦めず、挑み続ける

荻原友美

「レースをやりたい」気持ちを原動力に

KYOJO CUPも仕事も子育ても全力勝負


「今のところ完全母乳で育てているので、走行の合間に授乳をしなきゃいけなくて。子どもが哺乳瓶を受けつけないので誰かにおまかせできないし、子どもにもできるだけ負担をかけないようにしながら、自分の走行にも集中しなきゃいけない。開幕戦まで大変でした。」


そう語る荻原友美選手(以下、友美選手)はKYOJO CUPが立ち上がった2017年から2022年までフル参戦。2023年に子どもを授かり、12月に出産すると、わずか3ヶ月後の2024年春、サーキットへと返り咲いた。子育てとレースを両立すべく常に最善の方法を模索しながら、限られた時間と環境の中で最高のパフォーマンスを目指している。


「レースに目覚めたのは20代後半。私は大学を卒業後、看護師の仕事が楽しくて、働きながら救急救命士をはじめとしたさまざまな国家資格を取得しました。自分の中でそうした学びがひと段落したタイミングに、自動車整備士の父と一緒にスーパーGTを見に行く機会があって。スーパーGTと言えば、乗用車をベースに開発されたツーリングカーレースの最高峰。目の前で車が混戦しながら繰り広げるバトルに心が掴まれて、乗りたい!と思ったんです。翌週にはジースパイスレーシングチームのあるネッツトヨタ群馬(現Netz群馬)さんの門を叩いていました。」


自動車免許はマニュアルで取得し愛車はホンダのインテグラだったが、当時の友美選手にとって車は単なる移動手段。レースに興味も関心もなかった彼女を、初めてのスーパーGT観戦がサーキットの世界へと誘った。





レーシングチームの裏方を経験し
ドライバーとしての素地を磨く




乗りたい!という揺るぎない気持ちは、アグレッシブな行動力へと変換された。


「ありがたいことにレーシングチームは受け入れてくださいました。レース歴もない、カートもやっていない、なんだか変なやつが来たという感じでしたけど。まずは現場がどういうものか見てみなさいと、ヴィッツレースに帯同させてもらって、チームを手伝いながら3年ほどレースの内側を見せていただきました。レーシングカーは状況に合わせてセッティング変更になることが多く、その都度パーツを取っ替え引っ替えやらなければいけません。ときにはミスだって起こりうるし、そうなるとドライバーはレースのグリッドにも立てない。メカニックさんがいなければ、何も成り立たないんですよね。レーサーになる前に、縁の下で支えている方がたくさんいるということを先に知れたのは、とても良い経験でした。」


師匠と慕うレーシングドライバーの姿勢を間近で見ることで、ドライビングテクニックも学んだ。友美選手は下積み時代、こうしてレーサーに欠かせない心技体を醸成していった。


「モータースポーツはまだまだ女性の競技人口が少なく、場合によって女性レーシングドライバーが理不尽な目に遭こともあると思うんです。そうした中で私は男としてとか女としてとかではなく一人の人間として受け入れてくれるチームがある。その点は恵まれましたね。」




職業「女性プロドライバー」を目指し
ママレーサーの輝く姿を全世界へ発信




小さな子どもを抱えてのレーサー活動は、当然ながら思うようにいかないこともあるだろう。KYOJO CUPは女性レーシングドライバーを取り巻く環境に理解が深く、子ども連れで参戦する選手もいるが、産後3ヶ月で復帰した事例は友美選手が初めてだ。


「仕事って出産後も続けるじゃないですか。なんでレースは諦めないといけないのかと。元なでしこジャパンの岩清水梓選手だって産後にピッチに戻り、世界的テニスプレイヤーの大坂なおみ選手も復帰していて、それが普通なはずなのに、モータースポーツの世界だと無理って思われる。背景には産休、育休中に自分のシートがなくなるという恐怖を誰もが抱いて、女性レーシングドライバーには結婚や出産を選択しない時代があったからだと思うんです。」


現在、育休中だが友美選手は、看護師としてのキャリア中断を痛いほど実感した。

「私の場合は母が育児をサポートしてくれるのでレースへの復帰が叶いました。家族だけでなく、ベビーシッターといった社会資源も含めて頼れるところは頼り、こういう手段があるからママでもレースができるという姿を見せていけたら。女性プロドライバーというものを職業として成立させるためにも、結婚も出産もレースもできるという将来を提示できたらと思います。」


生後5ヶ月を迎えた息子さんが「落ち着いていて穏やかな子で。そういうところにも助けられています」と目を細める友美選手。2024年のKYOJO CUPは、母の強さも武器に1年のブランクを感じさせない走りを魅せていく。