INTERVIEW
Vol.8
小林眞緒
「サーキットの悔しさは
サーキットでしか晴らせない」
その言葉に突き動かされ
KYOJO CUPに挑む
INTERVIEW
Vol.8
「サーキットの悔しさは
サーキットでしか晴らせない」
その言葉に突き動かされ
KYOJO CUPに挑む
幼少期からカートに乗ってきたなど、女性レーシングドライバーへの道は数々あるが、小林眞緒選手(以下、眞緒選手)は大学生でレースデビュー。早稲田大学の自動車部に入部したことを機にモータースポーツと出会った。
「新型コロナウイルス感染症の拡大で、大学1年生のときの授業はほとんどリモートでした。せっかく大学に入ったのに何もできていないのはもったいないと、熱中できることを探していたときに自動車部を知って。その夏に入部してからモータースポーツの楽しみを知り、夢中になりました。走ることはもちろん、整備して車を作ったり、資金調達から管理、練習計画まで、すべてが魅力ある経験でした。」
早稲田大学自動車部は1934年に創設され、80年の歴史を誇るスポーツ部。OBにはトヨタGT2000の開発にも携わった日本のレーシングドライバーのレジェンド・多賀弘明氏も名を連ねる。その由緒ある自動車部で、眞緒選手は大いに存在感を発揮する。2020年度のデビュー戦(早慶対抗ジムカーナ定期戦)での優勝を皮切りに、2023年に自動車部を引退するまで全18戦に出場し、うち14戦が優勝。加えれば17戦は表彰台に上がるという快挙を成し遂げた。
「当時はコロナ禍で入部した部員も、相手校の参加数も少なかったので、快挙ということでもないんです。ですが、デビュー戦は乗れる機会が本当に限られた中で大会というものを実際に経験し、自分が自動車部に所属できる4年間で、本気になったらどこまで速くなれるんだろう――そう思ったとき、スイッチが入った感じです。」
負け知らずの女子大生レーサーの噂は、メディアも放っておかなかった。テリー伊藤氏と元レーシングドライバー・土屋圭市氏のテレビ番組『テリー土屋のくるまの話(TOKYO MX)』に、眞緒選手は2度もお呼びがかかったのだ。
「1回目は番組内で学生自動車部の女子だけのレースを行いました。私は圧倒的に速いタイムで帰ってきたからか、2回目に呼ばれたのは女性レーシングドライバーと共演する企画でした。そこでレースをさせていただいたのが、KYOJOドライバーの猪爪杏奈さんと翁長実希さんだったんです。一緒に走ってみたら、圧倒的な差を感じて。世の中にはたくさん速い人がいるんだと改めて気づかされましたし、悔しい気持ちも正直あったと思います。でもそれ以上に、楽しそうという思いが勝ちました。
自動車部の引退を間近に控えた頃で、私の中にモータースポーツを続けてみたいという気持ちが片隅にあって。収録の終了後、お二人に迷っていることをご相談させていただいたら、KYOJO CUPの参戦を勧めてくださいました。お二人からいただいたたくさんのアドバイスは、本当に感謝してもしきれません!」
こうして女性レーシングドライバーの2人の先輩のアドバイスから、眞緒選手は2024年、KYOJO CUPの門を叩いた。
「自動車部は基本的に箱車で、大会ではDC2というホンダのインテグラタイプRを使っていました。VITAに乗るのはまだ数回ですが、全然歯が立たないです。もう学生時代とは質もレベルも全然違って、そこが難しくもあり楽しいところですね。」
KYOJO CUPに参戦し、圧倒的な差を実感したという眞緒選手。カート経験者とはやってきたことが全く違うと理解しつつ、自分にできることでハードルを乗り越えたいと気持ちを新たにする。
「サーキットの悔しさはサーキットでしか晴らせないと、以前、猪爪さんがおっしゃってくれました。私は乗って覚えるタイプなので、回数乗っていくしかないです。これまでもそうだったように、やればちゃんと身に付くと思っています。今年の目標は、右肩上がりに順位を上げ続けること。だからこそ、第一戦でダメだったところは第二戦で取り返せるように課題は一つずつ克服していきたいです。この一年は、数字で出すというより、自分との戦いだと思っています。」
今年から大学院に進み、建築学科建築学専攻の都市計画の分野で研究も進めている。
「大学時代の四年間で、上手くいったレースと上手くいかなかったレースがありました。やっぱり最後は運で、それは人間性から来るものだと思っています。周りの人に対しても車に対しても感謝の気持ちを失ったら絶対に運は巡ってこないと思うので、人間性を磨くことも勝つためには必須だと思います。」
夢は、モータースポーツや車に関心を持つ人を増やすべく、若者の車に対する興味関心を増幅させるような活動に携わることだという。才色兼備な眞緒選手に、泥臭い一面を垣間見た。